台湾

台湾の歴史を簡単に紹介~台湾が民主化されるまで~【歴史は逆から学べ】

先日の台湾総統選挙では、「台湾のアイデンティティ」を国民に訴えた蔡英文総統の続投が決まりました。

そもそも、なぜ蔡総統は「台湾のアイデンティティ」を訴えかけたのですか?

それは、前回の選挙(2016年)にきっかけがあります。

前総統の馬英九総統が中国に融和的で、国民の怒り・不満がどんどん溜まっていました

CHINTA
なぜ国民は、中国に融和的な政策に対して、不満に思っていたのですか?
中国に有利な協定を強行して結ぼうとした政府と国民との間で衝突が起きるなど、政府は国民の理解を得ることができなかったからです。

 

このように、歴史は「なぜ?」と思うことを深堀りしていくことで、理解しやすいと思います。

今回は、なぜ「台湾のアイデンティティ」が高まったのか、歴史を逆から学んでいきましょう。

CHINTA

この記事はこんな方におすすめ

  • 台湾の歴史を知りたい方
  • 台湾の国民がなぜ「アイデンティティ」をここまで主張するのか、疑問に感じた方

【 本記事のオススメの読み方 】

・急いでいる方は、「疑問・答え」の部分を辿ってみてください。

⇒それだけで十分歴史を理解できます

・関心のある方は、記事を読みながら「自分なりの疑問」を思い浮かべてください。

⇒新しい疑問が生まれたら、参考本を読んでみると、より分かりやすいと思います。

なぜ歴史を逆から学ぶ?【 逆から学ぶと分かりやすい 】

僕は昔から、日本史・世界史が苦手で嫌いでした。

なぜなら、今から何百年、何千年も昔のことなんて想像つかなくて、理解できなかったからです。

そして、「なんで昔から学んでいくのだろう?」と思っていました。

そんな中、「日本史は逆から学べ」という本と出会い、世界が変わりました。

「歴史を逆から学ぶ」だけで、あんなに苦手で嫌いだった歴史に対する自分の知的好奇心がどんどん湧いてくるのです。

そこで、僕は台湾の歴史も逆から学ぶことで、より分かりやすくなるのでは、と考えました。

CHINTA

なぜ歴史は大昔から学ぶんだろう?

この記事では、歴史を逆方向に、今から昔に向かって学んでいきます。

本記事は、河合敦氏の「日本史は逆から学べ」を参考に作成しました。

ぜひ、こちらも読んでみてください。日本史が苦手な私にでも、簡単に理解できる本でした。

「台湾の独立」への高まり【 蔡英文総統の続投が決まる 】

「台湾は台湾」というアイデンティティの高まり

「台湾の独立」を訴えかけた蔡総統の続投が決まった

2020年1月、台湾で行われた総統選挙では、現職の蔡総統の続投が決まりました。

「台湾の独立」を訴えかけた蔡総統の続投が決まった
蔡英文総統(出典:https://www.newsweekjapan.jp/stories/woman/2019/07/fb.php)

蔡総統は、「台湾の独立」を訴えかけ、国民の共感を得ました。

817万票という過去最多の得票数が、国民からの指示・共感を物語っています。

(出典:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59140)

中国に対して融和的な政策を掲げた候補者・韓国瑜の惨敗

蔡総統の対抗馬として期待された韓国瑜氏は、中国との融和的な政策を掲げたものの、結果は惨敗でした。

(出典:韓国瑜氏のFacebook)

韓氏は、蔡氏の4年間の実績を否定し、中国との関係改善・経済協力の強化を政策に掲げました。

しかし、台湾の国民にとって、台湾人としてのアイデンティティを否定するような政策は受け入れられませんでした。

2016年に総統となった蔡英文氏は、「台湾の独立」を主張し、2020年総統選も当選。続投が決まりました。

Q.なぜ台湾の国民の中に「台湾の独立」への期待が高まった?

A.それは、前政権の時に中国に対して融和的な政策が多く、台湾が不利な状況になってしまったから。

中国への融和打ち立てる馬英九、反発する国民

中国への融和打ち立てる馬英九、反発する国民

中台の経済関係強化を主張して当選した馬英九総統

前総統の馬英九は、総統選挙で、中国と台湾の経済関係を強化すること、それによる台湾経済の活性化を主張して、当選を果たしました。

中台の経済関係強化を主張して当選した馬英九総統
台湾の馬英九総統(左)と中国の習近平主席(出典:https://diamond.jp/articles/-/81344)

馬政権は、「不統、不独、不武」(統一せず、独立せず、武力を用いず)をスローガンとして掲げ、中国に融和的な政策を立てました。

その結果、台湾は中国に対する経済依存度が高まっていきました。

国民が立ち上がる結果になった「中台サービス貿易協定」

「中台サービス貿易協定」とは、中国と台湾が互いにサービス産業分野で市場を開放することを定めた協定です。2013年6月に締結されました。

この協定によって、台湾の国民は台湾の中小企業が中国資本に支配されることを危惧しました。

2014年3月に行われた世論調査

この政策には反対の意を唱える台湾の国民も多いものの、与党は民意を無視して批准を強行しようとしました。

学生が立法院を占拠した「ひまわり学生運動」

2014年、政府は前年に締結した「中台サービス貿易協定」を批准するため、立法院(日本でいう国会)では審議を進めていました。

野党(民進党など)が議事の開始を妨害するなど、批准に対して抵抗するも、与党(国民党)は審議を打ち切り、強行採決を図りました。

この与党の様子に危機感を覚えた学生は、3月18日から3週間にわたって立法院を占拠しました。

学生が立法院を占拠した「ひまわり学生運動」
批准に反対する学生(出典:https://www.excite.co.jp/news/article/Jpcna_CNA_20141227_201412270007/)
学生が立法院を占拠した「ひまわり学生運動」
立法院を占拠する様子(出典:https://webronza.asahi.com/politics/articles/2015122900002.html)

この行動は、「ひまわり学生運動」と呼ばれるようになり、台湾の全国民の関心を集めました。

馬英九総統は、中国への融和的な政策で総統選挙に当選するも、「中台サービス貿易協定」をめぐって国民と衝突したことがきっかけで、国民からの信頼を失いました

Q.そもそも、なぜ国民党(中国融和派)の馬英九は総統選挙に当選したのか?

A.それは、前総統が汚職で国民の信用を失ってしまったから。

国民に愛された陳水扁、汚職で失墜

国民に愛された陳水扁、汚職で失墜

「初めて」投票によって選ばれた総統・陳水扁

陳水扁は、元々弁護士でした。

その後、議員時代には市当局と黒いつながりのある大物を追及し、台北市長時代には、市政府職員の態度を正し、ごみ収集車の巡回回数を増やすなど、様々な実績を積みました。

そして、2000年3月18日。陳水扁は総統選挙に当選します。(投票率:82%)

この当選は、2つの歴史的な点を含んでいました。

・初めて国民ひとりひとりの投票によって選ばれた。

・50年以上続いてきた国民党政権が倒れた

「阿扁(アービエン)」と呼ばれ、親しまれていた

総統に選ばれた陳水扁総統は、「阿扁」(扁ちゃん)と呼ばれて親しまれていました。

汚職を追及して総統選挙に当選した陳水扁
(出典:https://www.recordchina.co.jp/b8228-s0-c10-d0000.html)

彼は、1950年、台湾・台南の農家で生まれました。つまり、彼も本省人でした。

台北市長時代から、台湾人意識を強く持つ本省人から支持されていたのです。

汚職が次々と発覚し、国民の信頼を失う

国民から親しまれていた陳水扁総統でしたが、次々と党内の汚職が発覚します。

2005年には、総統の側近らがわいろを受け取ったとして起訴され、夫人も公金を着服したとして起訴されました。

このように、世の中の不正を正してきた民進党自身が、金権にまみれていた事実は、人々を失望させてしまいました。

「初めて」投票で選ばれた陳総統は、50年以上続いた国民党政権を倒したものの、党内の汚職によって国民を失望させてしまいました。

Q.なぜ2000年の総統選挙から「投票」が導入されたのか?

A.それは、前政権の時に民主化が大きく進んだから。

台湾の民主化を進めた李登輝総統【 22歳まで日本人だった李登輝 】

台湾の民主化を進めた李登輝総統

22歳まで日本人だった李登輝【 京都大学にも進学していた 】

李登輝は、1923年、台湾北部の淡水群で生まれました。

(出典:https://www.news-postseven.com/archives/20180107_640248.html)

李登輝が生まれた1923年は、日本統治時代です。

彼は今も日本語が母語であり、「22歳まで日本人だった。」と公言するほど日本に対して親近感を持っています。

1942年には、京都帝国大学の農業経済学科に進学し、台湾農業について研究していました。

終戦後は、国民政府下の台湾に戻り、二度のアメリカ留学を経て、農業の専門家としてアメリカの期間で働きました。

蒋経国総統の死によって、李登輝副総統が総統を継ぐ

李登輝は、その後、行政院長、台北市長などを歴任し、1984年には副総統となりました。

当時の蒋経国総統は、本省人の李登輝を総統にする考えはなかったと思われます。

しかし、蒋経国の死によって、党則に従い李登輝副総統が総統に就任することになりました。

改革を進める李登輝総統

李登輝は、総統就任後、矢継ぎ早に改革を進めました。行った改革(一部)は下の通りです。

・中国との戦争状態の終結を宣言

・反乱罪やスパイ罪の廃止

・思想統制を行ってきた警備司令部の閉鎖

・国会の全面改選

「二・二六事件」の遺族に公式謝罪、犠牲者に補償

そして、特に力を入れたのが、台湾で多数を占める本省人に対し、「台湾人として誇りを持とう」と自己主張させることでした。

この動きは客家の人たちやにも表れるようになり、客家語のテレビ番組も作られるようになりました。

さらに、それまでの国民党のスローガンであった「反攻大陸」(中国共産党に追われた大陸に戻ること)を取り下げ、「台湾中華民国」(中華民国の本拠は台湾であるとすること)という国家の呼称を提唱したのです。

李登輝総統が台湾の民主化を進め、「台湾人」であることを自覚させた結果、その後の政治を大きく変えました。

参考本【 たった3冊だけで、台湾の過去が見えてくる 】

今回、記事を書くにあたって3冊の本を参考にしました。

台湾の歴史に関心のある方は、本を購入の際の参考になるかと思います。

台湾の歴史を学ぶなら読みたい本【 たった3冊だけでOK 】

いかがでしたか?

なぜ?と思うことを深堀して歴史を逆から学んでみると、歴史がストーリーのように理解できたのではないでしょうか。

今回は、台湾がなぜアイデンティティを主張するようになったのか、台湾の民主化から今までを振り返りました。

今後も、台湾の歴史について逆から学べる記事を掲載していきます。ご期待ください。

CHINTA

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